神奈川県鎌倉市長谷1丁目、甘縄神明宮の参道脇に立つ史跡碑。大正14年3月(1925年)に鎌倉町青年団が建立した石碑が、この地にあった安達盛長(1135〜1200年)の邸宅跡を伝える。
安達盛長は「藤九郎」の通名で知られる源頼朝の最古参の腹心で、頼朝が平治の乱後に伊豆蛭ヶ小島へ流されて以来、約20年にわたって身近に仕えた。治承4年(1180年)の挙兵に際しては使者として相模・下総を奔り、千葉常胤を頼朝方に引き込む大役を果たした。文治5年(1189年)の奥州合戦では陸奥国安達郡を給わり「安達」の苗字の由来ともなった。頼朝の没後に十三人の合議制の一員に選ばれ、正治2年(1200年)4月に頼朝の後を追うように没した。
『吾妻鏡』は「頼朝が特段の用がなくても盛長の屋敷をしばしば訪れた」と記録し、文治2年(1186年)正月二日には頼朝・北条政子夫妻が雪中参詣の折にこの邸を訪れた場面を伝える。
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