元禄7年2月11日(1694年3月6日)、後に赤穂浪士四十七士の一人となる中山安兵衛(のち堀部安兵衛武庸)が、同門・菅野六郎左衛門の果し合いの助太刀として馳せ参じ、相手方3名を斬り倒した「高田馬場の決闘」の伝承地。講談・歌舞伎『神明恵和合取組』『仮名手本忠臣蔵』などで脚色された「18人斬り」の武勇伝は江戸庶民の喝采を浴び、この武勇によって安兵衛は赤穂藩士・堀部弥兵衛の養子となって堀部の姓を継ぎ、7年後の元禄14年(1701年)吉良邸討入りの立役者となる。決闘場所の正確な地点は諸説あるが、水稲荷神社境内の一角(新宿区西早稲田3-1-2)に明治43年(1910年)建立の「堀部武庸加功績跡碑」が建ち、傍らには東京都・新宿区による解説板も設置されている。碑の隣には討入り本懐の義士を偲ぶ小祠もあり、毎年12月14日の義士祭には愛好家が参集する。江戸の武士道精神と講談文化の原点を今に伝える歴史記念碑で…