智積院の歴史は、紀伊根来山(現・和歌山県岩出市)の大伝法院に始まる。室町時代末期、真言宗の学僧・玄宥はこの地に智積院を開いたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉による根来攻めにより根来寺は焼失・没収され、玄宥は少数の僧侶とともに各地を転々とした。慶長3年(1598年)、秀吉の死後に徳川家康の庇護を得た玄宥は、秀吉が亡児・鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺の跡地を拝領し、現在地である東山に智積院を再興した。慶長年間以降、徳川幕府の手厚い支援により伽藍は整備・拡張され、真言宗智山派の総本山としての地位を確立した。同寺に伝わる長谷川等伯・久蔵父子による障壁画は、祥雲禅寺の旧遺構に描かれたものと…