建武3年(1336年)、足利尊氏が自らの鎌倉邸宅跡に創建。開山は臨済宗の禅僧・古先印元。建長寺の塔頭として鎌倉五山に次ぐ諸山第一位の格式を持ち、室町幕府の庇護のもと隆盛した。延文3年(1358年)、54歳で没した尊氏の戒名「長寿寺殿」が寺名の由来とされる。初代鎌倉公方となった尊氏の四男・足利基氏が父の菩提を弔うために七堂伽藍を整備し、寺の骨格を整えた。観音堂裏のやぐら(横穴式墓窟)には尊氏の遺髪を埋葬したと伝わる五輪塔があり、本墓のある京都・等持院に対する関東の分骨墓として今も崇敬を受ける。観音堂は奈良の円成寺から移築されたと伝わる。戦国期の兵火で大半が失われたとも伝わるが、江戸期に再興された…