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JR京都駅から徒歩約10分
京都府京都市下京区東塩小路付近
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慶応3年(1867年)から新選組が最後の京都屯所として使用した不動堂村の跡地。現在の京都市下京区東塩小路付近、現在のJR京都駅南方に位置していた。西本願寺から移転した新選組は、より独立した拠点としてここに屯所を設けた。鳥羽・伏見の戦い(慶応4年1月)まで、ここが新選組の京都最後の本拠地となった。跡地付近には現在、案内板が設置されており、新選組が京都での活動に幕を下ろした歴史的な場所として知られる。京都駅から徒歩圏内にあるため、新選組史跡巡りの出発点としても利用されている。
慶応3年(1867年)秋、新選組は西本願寺の屯所から京都市下京区不動堂村(現・東塩小路付近)へと移転し、ここに最後の京都屯所を構えた。西本願寺での駐留は寺側との軋轢が生じていたとされ、より独立した拠点を求めての移転であったと伝わる。不動堂村屯所は、幕末動乱が頂点に達した時期における新選組の活動拠点となり、隊士たちはここを本拠として京都市中の治安維持にあたった。慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、新選組は旧幕府軍の一翼として戦闘に参加したが敗北を喫し、同月中に江戸方面へ撤退した。これをもって不動堂村屯所としての役割は終わり、新選組の京都時代に終止符が打たれた。明治維新以降、…
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1868年(慶応4年)1月3日から6日にかけて、京都南部の鳥羽・伏見地区で戦われた戊辰戦争の緒戦。大政奉還後も旧幕府軍と新政府軍の緊張が続く中、旧幕府側の会津藩・桑名藩・新選組らの軍勢と、薩摩・長州を中心とする新政府軍が衝突した。数においては旧幕府軍が約1万5千名で新政府軍の約5千名を大幅に上回ったが、錦の御旗を掲げた新政府軍に対して旧幕府軍の士気は崩れ、数日間の戦闘で新政府軍が勝利した。この戦闘で旧幕府軍の総大将・徳川慶喜は大坂城から江戸へ逃走し、以後の戦況を決定づけた。新選組も近藤勇・土方歳三の指揮のもとで参戦したが、洋式装備の新政府軍に敗退し、鳥羽・伏見をもって新選組の京都時代に終止符が打たれた。現在、鳥羽・伏見には各所に激戦地の碑が建てられており、御香宮神社境内には砲弾の跡が残る。戊辰戦争の出発点となった歴史的戦場として多くの研究者や歴史ファンが訪れる。
不動堂村屯所は近藤勇が京都で最後に指揮を執った拠点である。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに際し、近藤はここから出陣した。敗戦後に江戸へ戻り、最終的に流山での投降へとつながった。
土方歳三は不動堂村を最後の京都拠点とし、鳥羽・伏見の戦いへ出撃した。この戦いでの敗北後、土方は甲州勝沼・宇都宮・会津・箱館と戦い続け、五稜郭で最後を迎えることになる。
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