岩殿寺(逗子)
岩殿寺(逗子)
神奈川県
源頼朝が政子の安産を祈願した坂東三十三観音第二番、泉鏡花の歌碑が残る逗子久木の山寺
創建
721
種別
寺院
アクセス
JR逗子駅から徒歩約15分、京急逗子・葉山駅から徒歩約12分
神奈川県逗子市久木5-7-11
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基本情報
寺院
創建 721
1305年目
御祭神・御本尊
宗派
曹洞宗
概要
養老5年(721年)開創と伝わる坂東三十三観音霊場の第二番札所で、逗子市久木の小高い山中に伽藍を構える古刹。十一面観音を本尊として祀り、鎌倉時代には源氏将軍家の篤い信仰を集めた。寿永元年(1182年)に源頼朝が北条政子の安産祈願に参詣し、建保6年(1209年)には三代将軍・源実朝が神武寺とともに巡拝したことが『吾妻鏡』に記される。江戸期の巡礼文化の中で広く知られ、明治期には文豪・泉鏡花が逗子滞在中に小説『岩殿寺』を発表、境内には鏡花の歌碑が今も残る。鎌倉駅から南東へ約3km、田越川沿いの久木の谷戸を抜けた静かな山際に佇み、四季折々の自然に包まれた札所として参詣者を迎えている。
由緒
寺伝によれば養老5年(721年)、徳道上人が当地を観音霊地として開創し、行基菩薩が刻んだ十一面観音像を本尊として安置したことに始まる。坂東三十三観音霊場の第二番札所として早くから巡礼の対象となり、関東一円に名を知られた。鎌倉時代に入ると源氏将軍家との結びつきが深まり、寿永元年(1182年)には源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願して参詣(『吾妻鏡』)。建保6年(1209年)には三代将軍・源実朝も神武寺と当寺を続けて巡拝した(同)。鎌倉幕府の祈願寺の一つとして庇護を受け、中世を通じて関東有数の観音霊場として栄えた。当初は法相宗で創建されたが、後に天台宗を経て、現在は曹洞宗の寺院となっている。江戸時代…
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十一面観音とは
木造十一面観音立像(奈良・法華寺、国宝、平安時代)
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観音の種類・七観音
聖観音
十一面
千手
如意輪
馬頭
准胝
不空羂索
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ご利益
健康長寿・病気平癒
縁結び
安産・子授け
厄除け・災難除け
病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「十一面観音」のご神徳に由来

ゆかりの人物
3

北条政子
尼将軍
政子の懐妊にあたり、頼朝は鎌倉から南東の山中にひっそり佇む岩殿寺まで自ら参詣して安産を祈った(『吾妻鏡』寿永元年条)。鶴岡八幡宮や三嶋大社のような幕府公式の祈願所ではなく、観音霊場としての岩殿寺をあえて選んだのは、十一面観音の女性救済の霊験を頼ったためと伝わる。波乱に満ちた政子の生涯において、嫡子・万寿(頼家)の出産前にこの古刹で夫が祈りを捧げたという事実は、結婚から間もない頼朝・政子夫妻の私的な信仰のありようを今に伝えている。
源頼朝
鎌倉幕府初代将軍
寿永元年(1182年)、頼朝は懐妊した北条政子の安産を祈願するため、当寺へ参詣した。『吾妻鏡』が記す数少ない頼朝の岩殿寺参詣記録であり、嫡子・万寿(後の二代将軍頼家)の誕生に先立つ祈りでもあった。当時の岩殿寺は既に観音霊場として広く知られ、頼朝は鎌倉から田越川を遡って久木の山中に分け入り、十一面観音の前に立ったと伝わる。鎌倉幕府成立の前年、嫡男誕生を願う若き頼朝の私的信仰の姿が、ここに残されている。
源実朝
歌人将軍・鎌倉幕府第三代将軍
建保6年(1209年)、三代将軍・源実朝は神武寺と岩殿寺を続けて参詣した(『吾妻鏡』)。父・頼朝が政子の安産を祈った岩殿寺をあらためて訪れたのは、武芸と和歌を愛した若き将軍の仏教への帰依を示す行いであった。鶴岡八幡宮で公暁に暗殺されるのは10年後の建保7年(1219年)。『金槐和歌集』に詠まれた繊細な心象は、こうした逗子の山深い古刹の静寂のなかで深められたのかもしれない。
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