元慶寺は、桓武天皇の孫にして六歌仙・三十六歌仙の一人に数えられる遍昭(816-890年)が、陽成天皇の誕生を奉祝して貞観10年(868年)に「花山」の地へ定額寺として建立したのに始まる。元慶元年(877年)には清和天皇の勅願寺となり寺名を「元慶寺」と改められ、遍昭は天台の修学を積んで後に大僧正・花山僧正と称された。
寛和2年(986年)6月22日深夜、この寺は平安政治史上最も劇的な場面の舞台となった。愛する女御・藤原忯子を亡くして悲嘆に暮れる花山天皇(時に19歳)に、右大臣・藤原兼家の三男・藤原道兼が「ともに出家しましょう」と語りかけた。夜空の月を「人目につく」と逡巡する天皇の前で、折よく雲…