目黒駅西口から目黒川に向かって急降下する江戸時代以来の名坂で、坂の上の大円寺境内付近を起点とし、坂下で太鼓橋に至る全長約220メートル、高低差約35メートル。坂名の由来は寛永年間(17世紀前半)に大日山大円寺を拠点とした湯殿山の行人(修験者)たちが行き来したことによる。江戸期には目黒不動・目黒新富士・目黒元富士への参詣道として、また江戸市中から目黒への行楽ルートとして賑わった景勝地で、安藤広重『名所江戸百景』にも「目黒新富士」と合わせて描かれる。一方で坂は歴史上の大災害の発端地としても知られ、明和9年(1772年)2月29日、坂上の大円寺で発生した火災が折からの強風にあおられて江戸市中へ延焼、麻布・芝・京橋・神田・本郷・駒込まで広がり、焼失家屋約1万9千軒・死者1万4千人を超えるとも伝わる「明和の大火(通称・行人坂火事)」となった。大火後の享和2年(1802年)に再建された大円寺には、犠牲…