兵庫県宝塚市社町に鎮座する真言宗単立の古刹。山号は武庫山。寺伝によれば飛鳥時代に用明天皇の命を受けた聖徳太子が創建した「武庫七寺」の一つとされ、平安時代には如一尼(にょいちに)が中興した。天正6年(1578年)、織田信長に謀反を起こした荒木村重の乱に巻き込まれて全焼したが、江戸時代に再興され現在に至る。本尊は室町時代初期の寄木造・釈迦如来坐像(宝塚市指定文化財)。境内には鎌倉時代中期作の花崗岩製石造露盤(宝塚市指定文化財)も現存する。4院の塔頭(成就院・西光院・成福院・宝寿院)を有し、摂津国三十三箇所第2番、摂津国八十八箇所第73番の霊場として巡礼者に親しまれる。宝塚神社に隣接し、阪急今津線逆瀬川駅から徒歩約5分。
平林寺の寺伝によれば、587年頃(飛鳥時代)、用明天皇の命を受けた聖徳太子が摂津国武庫郡に創建した「武庫七寺」の一つとされる。武庫七寺とは聖徳太子が摂津国に建立したと伝わる7つの寺院の総称で、平林寺はその一院として武庫の地の仏法興隆を担ってきた。平安時代には如一尼(にょいちに)と呼ばれる尼僧が寺を訪れ、衰退していた伽藍を再興したと伝わる。
中世以降も武庫山の麓の聖地として地域の信仰を集めてきたが、天正6年(1578年)に転機が訪れた。摂津国を領していた荒木村重が突如織田信長への謀反を宣言し(有岡城の戦い)、その戦乱の中で平林寺の堂宇は全焼した。荒木村重の乱は翌天正7年(1579年)に信長方の勝…