天平勝宝元年(749年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。当初は「繁多寺」の名のもとに薬師如来を本尊として祀り、地域の信仰を集めた。9世紀初頭、弘法大師空海が四国巡錫の折に当地を訪れ、自ら薬師如来像を刻んで堂宇を再興し、四国八十八箇所霊場の第50番札所として定めたとされる。中世には兵火や天災により伽藍が荒廃した時期もあったと伝わるが、その都度地域の人々や領主の支援を受けて復興された。近世、松山藩の庇護のもとで堂宇が整備され、遍路文化の隆盛とともに参拝者が増加した。明治時代の神仏分離令以降も寺院としての法灯を守り続け、現在に至る。境内には樹齢数百年とされる楠の大木が残り、往時の歴…