安政4年(1857年)、日本橋〜一石橋界隈の盛り場で迷子・尋ね人が多発したことを受け、近隣町の名主らが世話人となって建立した江戸期の公衆告知石標で、都内で当時の位置に現存する唯一の迷子しらせ石標として東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。正面には「満よひ子の志るべ」、左側には「たづぬる方」、右側には「志らす類方」と刻まれた三面構成で、左窪みに迷子の特徴を書いた紙を貼り、右窪みに心当たり情報を貼り合わせることで、江戸庶民の情報ネットワークを担った「江戸の公衆掲示板」として機能した。江戸期の江戸市中の迷子問題と町名主制度による共助文化、情報流通の実態を物語る貴重な遺物で、中央区八重洲1-11に石標が現存。江戸の都市社会史・風俗史を学ぶ上で欠かせない文化財。