大同2年(807年)、弘法大師空海が熊野権現の御告げを受け、この地に草庵を結んだことが当寺の起源と伝わる。弘仁2年(811年)には嵯峨天皇の勅願により、空海が自ら十一面観世音菩薩像を彫刻して本尊とし、正式に伽藍を整備したとされる。平安時代中期以降、後白河上皇が頭痛の平癒を祈願してこの地に行幸し、霊験を得たとの故事が伝わり、「頭の観音さん」として広く信仰を集めるようになった。中世には兵火などにより伽藍が衰退した時期もあったとされるが、泉涌寺の塔頭として法灯を維持し続けた。近世には真言宗泉涌寺派の寺院として再整備が進み、境内の諸堂が整えられた。江戸時代には西国三十三所第15番札所としての地位が定着…