江戸初期、桃の節句(3月)と端午の節句(5月)に人形を売る仮店舗が十軒あったことから「十軒店」の名で呼ばれた日本橋の人形市の跡で、江戸〜大正期の庶民文化史を象徴する中央区日本橋室町の史跡。明和年間(1764-1772年)頃、十軒店の人形師・原舟月が「古今雛」を創作したことで日本橋十軒店は現代まで続く雛人形の源流地となり、寛政年間(1789-1801年)には出店が41軒に増加して江戸一の人形市街に発展した。毎年3月の「雛市」では内裏雛・禿人形が、5月の「兜市」では兜人形・菖蒲刀・鯉幟が、12月の「歳暮市」では破魔弓・手毬・羽子板が並び、江戸庶民の年中行事と結びついた人形文化の中心地として全国にその名を轟かせた。「十軒店」の町名は大正時代まで存続し、現在は中央区日本橋室町3-2-15に説明板が立ち、江戸庶民風俗史の一幕を今に伝える。