大阪市天王寺区夕陽丘町に所在する曹洞宗の寺院。戦国時代の創建と伝わり、平安時代末期の歌人・藤原家隆(隆信の子、新古今和歌集の撰者の一人)が晩年を過ごしたと伝わる「夕陽庵(せきようあん/ゆうひあん)」の跡地に建てられたとされる。この庵名が地名「夕陽丘」の由来となった。家隆はここで「契りあれば なにはの里に やどりきて 波の入日を おがみつるかな」など夕日を詠んだ歌を残し、終焉の地とも伝わる。境内墓地には江戸時代の天文学者で地動説を独自に唱えた麻田剛立、豊後出身の文人画家・田能村竹田、医師で蘭学者の各務文献の墓、さらに松尾芭蕉の死後、門弟たちが芭蕉の反故(未完成の原稿・歌稿)を焼き遺髪を納めた「反故塚」が残る。大坂の学問・文学・美術史を凝縮した文人墓地として知られる。