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浄春寺
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浄春寺
大阪府
創建
1550
種別
寺院
アクセス
大阪メトロ谷町線・四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩5分
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-3
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基本情報
寺院
創建 1550
476年目
宗派
曹洞宗
概要
大阪市天王寺区夕陽丘町に所在する曹洞宗の寺院。戦国時代の創建と伝わり、平安時代末期の歌人・藤原家隆(隆信の子、新古今和歌集の撰者の一人)が晩年を過ごしたと伝わる「夕陽庵(せきようあん/ゆうひあん)」の跡地に建てられたとされる。この庵名が地名「夕陽丘」の由来となった。家隆はここで「契りあれば なにはの里に やどりきて 波の入日を おがみつるかな」など夕日を詠んだ歌を残し、終焉の地とも伝わる。境内墓地には江戸時代の天文学者で地動説を独自に唱えた麻田剛立、豊後出身の文人画家・田能村竹田、医師で蘭学者の各務文献の墓、さらに松尾芭蕉の死後、門弟たちが芭蕉の反故(未完成の原稿・歌稿)を焼き遺髪を納めた「反故塚」が残る。大坂の学問・文学・美術史を凝縮した文人墓地として知られる。
由緒
戦国時代に創建されたと伝わる曹洞宗寺院。鎌倉時代の歌人・藤原家隆が晩年に営んだ隠棲の庵「夕陽庵」の跡地に建てられたとされ、その庵名が「夕陽丘」の地名の由来となった。江戸時代には浪華の学問・文芸・美術人の菩提寺として著名人の墓が集積し、天文学者・麻田剛立、文人画家・田能村竹田、医師・各務文献らが葬られた。松尾芭蕉の死後、大坂の門弟たちが芭蕉が破り捨てた反故(はんごう/未完成の原稿)を焼き、遺髪とともに塚に納めた「反故塚」も境内に残る。文人たちが夕陽に思いを馳せたこの地は、大坂における「文」の記憶を伝える場所となっている。
松尾芭蕉とのつながり
元禄7年(1694年)10月12日、松尾芭蕉は旅の途中の大坂で没した。芭蕉の死後、大坂の門弟たちは師が破り捨てた反故(ほご・未完成の歌稿や書き損じ)を集めて焼き、遺髪とともに塚に納めた。これが浄春寺境内に今も残る「反故塚(はんごうづか)」で、芭蕉の文筆の執念と門弟たちの師への敬慕を伝える珍しい供養塔である。芭蕉の墓自体は近江の義仲寺にあるが、大坂での客死の地としてこの塚は俳諧ファンの巡礼地となっている。

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