方広寺(ほうこうじ)は天正19年(1591年)に豊臣秀吉が発願した大仏殿で、奈良の大仏(東大寺)を凌ぐ規模の大仏(丈六・約19メートル)を安置することを目指した。文禄4年(1595年)に大仏は完成したが、翌年の慶長元年(1596年)の大地震(慶長伏見地震)で倒壊した。秀吉の死後、豊臣秀頼が再建し、方広寺の大仏殿は東山七条のシンボルとなった。
しかし、慶長19年(1614年)に方広寺の鐘銘(「国家安康」「君臣豊楽」)が徳川家康を呪う文言と解釈され(方広寺鐘銘事件)、大坂冬の陣・夏の陣の口実となった。その後の大坂の陣(1614〜1615年)で豊臣家は滅亡し、方広寺も徐々に衰退した。江戸時代に火災…