天平2年(730年)、聖武天皇の御代に善光という僧が尾張国笠覆の地に草庵を結び、観音像を安置したのが創建と伝わる。その後、9世紀初頭に僧・最然が堂宇を整備したとされ、現在の笠覆寺の基礎が築かれた。寺名の由来となった「玉照姫」の縁起伝説は平安時代頃の成立とされ、雨宿りした若者が傘を姫に被せたことで縁が結ばれたという逸話が広く伝わる。中世には兵火による被害を受けたとされるが、再建を経て尾張の観音霊場として信仰を集め続けた。江戸時代に入ると、名古屋城の鬼門除けの寺として尾張徳川家から厚く崇敬され、尾張四観音のひとつに数えられた。現存する朱塗りの仁王門はこの時期の造営と伝わる。明治以降は廃仏毀釈の影響…