天正10年(1582年)、本能寺の変の直後、村井重勝(法名:見性軒)によって創建された。重勝は織田信長の庶子との伝承を持ち、幼くして信長の重臣・村井貞勝の養子となった。貞勝は京都所司代を歴任した信長の腹心で、本能寺の変の際に信忠とともに二条城で奮戦し討死している。重勝は実父・養父ともに同日に失った悲痛のなか、信長から生前に下賜されていた「直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)」と印された旗を境内に埋め、一宇を建立した。この旗に刻まれた禅語が寺名の由来となった。
天正16年(1588年)の養父貞勝七回忌には、豊臣秀吉が親しく参詣し寺領を寄進、年貢免除の恩典を与えた。江戸時代には…