長宗我部氏の山城として天正以前から存在したが、天正19年(1591年)に元親が大高坂城から移り抜本的に改築。3層の天守と本丸・二ノ丸を備える近世城郭へと整備した。慶長4年(1599年)に元親が没すると四男・盛親が継承。翌年の関ヶ原合戦で盛親は西軍に付き敗北、長宗我部氏は土佐24万石を改易された。慶長8年(1603年)、土佐新藩主・山内一豊が高知城完成とともに移居し浦戸城は廃城。江戸期以降は遺構の多くが失われ、現在は本丸石垣の一部と二ノ丸周辺の堀切3条が残るのみ。明治以降の龍馬顕彰運動により同地に坂本龍馬記念館が建設され、長宗我部の城地という歴史的背景は薄れているが、国の史跡の面影を今に伝えてい…