正保2年(1629年)、水戸藩初代藩主・徳川頼房が江戸の上屋敷に庭園を造り始めたのが小石川後楽園の起源である。その後、二代藩主・徳川光圀が儒学者の朱舜水を招いて造園を指導させ、17世紀後半に庭園をほぼ完成させた。朱舜水の助言により中国・宋代の名文「岳陽楼記」にある「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という言葉が園名「後楽園」の由来となった。園内には中国と日本の景勝地を模した意匠が随所に取り入れられ、各地の名所を凝縮した回遊式泉水庭園として整備された。明治維新後は一時期宮内省の管轄となり、その後民間に払い下げられるなど変遷を経た。第二次世界大戦時の空襲でも一部被害を受けたが、…