興正寺の前身は南北朝時代に六条坊門周辺で栄えた仏光寺(真宗仏光寺派本山)。仏光寺第14世の経豪は、応仁の乱後の混乱期に本願寺第8世蓮如の精力的な布教活動に触れ、文明16年(1484年)に仏光寺を去って本願寺門下となった。経豪に従った仏光寺末寺の多くも本願寺派に移り、仏光寺は大幅に勢力を失った。経豪が新たに建てた寺は当初「仏光寺」を名乗っていたが、後に「興正寺」と改称。豊臣秀吉による京都改造を経て現在地(西本願寺の南)に移転した。江戸時代には本願寺派の末寺として存続したが、明治9年(1876年)に第27世・本積が本願寺派からの独立を果たし、独自の「真宗興正派」を創設。現在約100ヶ寺の末寺を擁す…