慶長2年(1597年)、徳川家康の家臣・小泉次大夫吉次が武蔵国稲毛領・川崎領の用水奉行として築いた代官陣屋の跡。次大夫はここを指揮所として二ヶ領用水・六郷用水の開削工事を14年にわたって監督し、慶長16年(1611年)に両用水を完成させた。完成した用水路は多摩川左右両岸の農業用水として現在の川崎・大田エリアを潤し、今も「次大夫堀」の名で呼ばれる。関ヶ原合戦後の小泉次大夫は旗本・幕府代官として稲毛・川崎領を治め、慶長13年(1608年)には陣屋の西隣に徳川秀忠の小杉御殿が造営され、街道を挟んで御殿と陣屋が連携する徳川の拠点域が形成された。現在は川崎市立西丸子小学校校門前付近にあたり、小杉陣屋町中公園向かいの祠に案内看板が立つ。