神奈川県鎌倉市極楽寺二丁目に鎮座する神社で、旧社格は村社。祭神は速玉男命(はやたまのみこと)を主祭神とする熊野大神で、昭和3年(1928年)の合祀後は八雲神社の素戔嗚命・諏訪神社の建御名方命なども祀る。
当社は文永6年(1269年)、真言律宗の高僧・忍性菩薩が極楽寺の鎮守として紀伊国熊野から速玉男命を勧請して創建した。忍性は叡尊(西大寺)の弟子として律学を修め、文永4年(1267年)から極楽寺の主導的な僧として鎌倉に根を下ろした。癩病患者や貧民の救済、橋・道路の建設など社会事業を精力的に行い、「菩薩」の称号を後世に残した人物である。その忍性が勧請した熊野の神は、極楽寺の伽藍と一体となって鎌倉時代の人々の信仰を集めた。
大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が損壊し、昭和2年(1927年)に再建。震災で近隣の八雲神社・諏訪神社が失われたため、昭和3年(1928年)にこれら二社を合祀し…
極楽寺の谷(鎌倉市極楽寺)は、鎌倉時代の武士の屋敷跡が散在する閑静な土地柄で、現在の極楽寺駅周辺一帯に中世の寺院が広がっていた。極楽寺そのものは建長5年(1253年)頃から北条重時(義時の子)が構想し、康元元年(1256年)頃に完成させた真言律宗の大寺院で、忍性が文永4年(1267年)から主導的な役割を担った。
文永6年(1269年)、忍性菩薩は極楽寺の鎮守神として熊野速玉大社(紀伊国)の速玉男命を勧請し、当社を創建した。熊野信仰は鎌倉時代を通じて武士から庶民まで広く浸透しており、「熊野詣」は幕府御家人にとっても重要な宗教行事であった。忍性は当時の鎌倉でもっとも活動的な宗教者のひとりで、ハン…