妙心寺は暦応4年(1337年)、花園上皇が自らの離宮「萩原殿」を禅寺に改めて創建した。開山には臨済宗の禅僧・関山慧玄(無相大師)が迎えられ、南浦紹明(大応国師)の法脈を継ぐ寺として出発した。しかし創建後まもなく、応安7年(1374年)に幕府の意向により一時廃寺を命じられる苦難を経験した。その後、室町時代中期に雪江宗深らの尽力で復興が進み、以後妙心寺派の本山として急速に発展した。戦国時代には一時的な打撃を受けたものの、江戸時代には徳川幕府の庇護のもとで塔頭の整備が進み、現在見られる46か院が形成されていった。寛永年間(1624〜1645年)には法堂天井に狩野探幽による「雲龍図」が描かれた。また境…