大阪市東淀川区東中島に鎮座する旧郷社で、「なかじまそうしゃ」と読む。社伝によれば白雉2年(651年)、孝徳天皇が都を難波長柄豊碕宮に遷した際、周辺の豊作を祈願して創建されたと伝わる古社。主祭神は宇賀御魂神・受保大神・大市比賣神の三柱で、稲荷信仰の古社として発祥したため長らく「稲荷神社」と称した。豊臣秀頼の崇敬を受け、「中嶋惣社」の四文字を記した絹布が寄進されたと伝わる。慶長19年(1614年)大坂冬の陣で社殿を焼失し、建武2年(1335年)の図絵と木札のみが遺された。昭和20年(1945年)6月7日の第3次大阪大空襲で再び全焼、昭和62年(1987年)に現社殿が再建された。明治29年(1896年)に社名を「稲荷神社」から「中島惣社」へ改称。明治41-42年(1908-1909年)には周辺の南北朝時代以来の鎮守社ら11社を合祀し、中島地区全体の総社となった。新大阪駅から徒歩約7分、「新大阪の…
社伝によれば、白雉2年(651年)、孝徳天皇が難波長柄豊碕宮へ遷都した際、中島一帯の豊作を祈願して創建された。当初は稲荷神社と称し、付近の稲作・商業の守護神として崇敬された。豊臣秀頼の崇敬厚く、「中嶋惣社」の四文字を記した絹布が奉納された。慶長19年(1614年)大坂冬の陣の兵火で社殿は焼失し、建武2年(1335年)の図絵と木札のみが焼け残った。明治29年(1896年)に「稲荷神社」から「中島惣社」へ改称。明治41-42年(1908-1909年)、南北朝時代の鎮守だった須賀神社(刀鍛冶の守護社)ほか周辺11社を合祀し、中島地区全体の「惣社」となった。昭和20年(1945年)6月7日の第三次大阪…