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京都府
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二尊院
京都府
嵯峨天皇の勅願で円仁が834年頃に開いた天台古刹、「紅葉の馬場」と呼ばれる参道と法然高弟・湛空による四宗兼学の伝統
創建
834 年
種別
寺院
アクセス
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基本情報
寺院
創建 834年
1192年目
御祭神・御本尊
釈迦如来
→
阿弥陀如来
→
宗派
天台宗
→
概要
二尊院は承和年間(834〜847年)に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建した天台宗の寺院で、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀ることが寺名の由来である。総門から続く参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、桜と紅葉が織りなすトンネルは嵯峨野随一の景観として評価が高い。鎌倉時代に法然の高弟・湛空が再興し、天台・真言・律・浄土の四宗兼学の道場となった歴史を持つ。境内には藤原定家の時雨亭跡と伝わる場所や角倉了以の墓がある。小倉山の中腹に位置するため眺望も素晴らしく、京都市街を一望できる。嵐電嵐山駅から徒歩約20分、常寂光寺の北に位置する。
由緒
二尊院は承和年間(834〜847年)、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建した天台宗の寺院とされる。寺名は本尊に釈迦如来(発遣の如来)と阿弥陀如来(来迎の如来)の二尊を祀ることに由来する。創建後しばらくは法灯が保たれたが、平安末期から鎌倉初期にかけて衰退したと伝わる。鎌倉時代には法然上人の高弟・湛空上人が再興し、天台・真言・律・浄土の四宗兼学の道場として整備された。応仁の乱(1467〜1477年)の兵火により伽藍の多くが焼失したが、戦国時代に三条西実隆らの援助を得て再建されたとされる。近世には嵯峨の文化的拠点として栄え、境内には歌人・藤原定家の時雨亭跡と伝わる場所が残るほか、江戸時代初期に活…
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ご利益
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
極楽往生
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「釈迦如来・阿弥陀如来」のご神徳に由来
記
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