嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(檀林皇后)が承和年間(834年頃)に創建した天台宗の寺院で、日本最初の尼僧専門の修行道場(壇林)として歴史に名を刻む。檀林皇后は絶世の美女として知られ、死後に自らの遺体を野ざらしにして無常を示したという伝説が「九相図」の題材となった。現在は廃寺となりその跡地に小さな堂宇が残るのみだが、清凉寺境内にその名残が伝えられている。嵯峨野の静かな一角に位置し、平安時代の皇后の深い仏教信仰と無常観を今に伝える。橘嘉智子は「壇林」という言葉を日本に定着させた人物であり、後世の寺院教育に多大な影響を与えた。嵯峨の歴史散策において、平安時代の宮廷仏教文化を知る上で欠かせない場所である。
承和元年(834年)頃、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(檀林皇后)が嵯峨野の地に創建した天台宗の尼寺。日本初の尼僧専門の修行道場「壇林」として設立され、「壇林」という語を日本に定着させた画期的な寺院とされる。創建に際しては天台宗の教学が基盤に置かれ、多くの尼僧の修行と教育の場として機能したと伝わる。檀林皇后は845年に没し、自らの遺体を野ざらしにして無常を示したという伝説が後世に「九相図」の題材として語り継がれた。平安時代中期以降、皇室の庇護が薄れるにつれ次第に衰退したと考えられ、中世には寺勢が大きく失われたとされる。近世に至るまでに廃寺となり、跡地には小規模な堂宇が残るのみとなった。現在、その名残…