安貞2年(1228年)、鎌倉時代の高僧・明恵上人が東国巡錫の際に菅原道真公自作の尊像を奉じて当地に祠堂を建立し、旧東大久保村の鎮守としたことに始まる。社殿が太宰府の方角である西を向いて建てられていることから「西向天神」と呼ばれる。天正年間(1573〜92年)に戦火で焼失したが、のちに聖護院宮道晃法親王の命で再建。寛永年間(1630年代)には三代将軍・徳川家光が鷹狩りの途中に荒廃した当社を見て、金の棗の茶入れを下賜して再興を促したことから「棗天神」の異称もある。天保13年(1842年)には境内に富士塚が築かれ、現在も「東大久保富士」として残る。新宿のビル街の裏手にあって緑深い境内は都会のオアシス。