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阪急京都河原町駅から徒歩約5分、木屋町通沿い
京都府京都市中京区河原町通蛸薬師下る塩屋町382
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慶応3年(1867年)11月15日夜、材木商・近江屋山田屋の離れに潜んでいた坂本龍馬(33歳)と中岡慎太郎(29歳)が数人の刺客に急襲され、重傷を負った現場。龍馬は即日死亡、中岡は2日後の17日に息を引き取った。実行犯については京都見廻組説が有力だが、新選組説・薩摩藩黒幕説など諸説が今なお議論される。大政奉還(10月14日)から僅か1ヶ月後という時期に、倒幕と新国家建設の最前線に立っていた二人の志士が命を落としたことは、明治維新直前の緊迫した政治状況を象徴する。現在跡地には石碑が建てられ、木屋町通に面した幕末史の重要な記憶の場として多くの人が訪れる。
坂本龍馬は土佐藩(現・高知県)出身の志士で、薩長同盟(1866年)の成立に奔走し、大政奉還(1867年)の実現に大きく貢献した幕末最大の政治的功績を残した人物である。慶応3年当時、龍馬は京都市中で活動しており、幕末の志士に対する警戒が高まる中、材木商・山田屋(近江屋)の離れを宿所としていた。11月15日夜、中岡慎太郎と密談中に数人の刺客が踏み込み、龍馬は頭部を斬られて即日死亡した。実行犯は京都見廻組の佐々木只三郎率いる一隊が最有力視されているが、確たる証拠がなく諸説が残る。暗殺からわずか3ヶ月後の明治元年(1868年)に明治維新が成り、龍馬が夢見た新国家は実現したが、当人は見届けることなく世を…
慶応3年(1867年)11月15日夜、龍馬はこの近江屋の離れで刺客に急襲され、頭部を深く斬られて即日死亡した。享年33(満31歳)。大政奉還実現からわずか1ヶ月後の暗殺であり、彼が構想した新国家建設の夢は志半ばで断たれた。死の直前まで仲間と日本の将来について語り合っていたという。
勝海舟は龍馬にとって最大の師であり、龍馬の才能を見出して神戸海軍操練所の運営を任せた。龍馬の死の報を受けた海舟は深く悲しんだと伝わり、後年の回顧録で龍馬を「日本を変えた男」と高く評した。海舟自身も維新後に江戸城無血開城を主導するなど、龍馬が目指した無血変革の精神を引き継いだ。
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