下京区柿本町に位置する了円院は、日蓮宗の名刹・本圀寺(ほんこくじ)の塔頭寺院である。本圀寺は日蓮の直弟子・日朗を開山とする日蓮宗の重要寺院で、永禄11年(1568年)には織田信長に擁立されて上洛した室町幕府最後の将軍・足利義昭が仮御所(六条御所)として使用したことで知られる。翌永禄12年(1569年)1月、三好三人衆・斎藤龍興らの軍勢が義昭を本圀寺に急襲した「本圀寺の変」が勃発。信長が翌朝急駆けつけて撃退したこの事件は、信長と義昭の関係を内外に示す重大な出来事であった。本圀寺は昭和44年(1969年)に山科区へ移転したが、了円院は16ある塔頭のひとつとして旧地に留まり、本圀寺の変の歴史的記憶を今に伝えている。
了円院が属する本圀寺は、日蓮の直弟子・日朗が鎌倉・比企谷に開き(1274年頃)、後に六条高倉の現在地に移転した日蓮宗の重要寺院である。永禄11年(1568年)10月、織田信長に擁立されて上洛した足利義昭が、二条城(二条御所)完成までの間、本圀寺を仮の御所(六条御所)として使用した。しかし翌永禄12年(1569年)1月、義昭の政敵であった三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)と斎藤龍興の軍勢が本圀寺を急襲。義昭の護衛衆と激しく交戦した(本圀寺の変)。報告を受けた信長が翌朝岐阜から駆けつけ、これを撃退した。この事件は信長が義昭の後見として機能することを天下に知らしめ、その後の織田政権確立に向け…