山号を道源山(どうげんざん)と号する浄土宗知恩院末の寺院。天正16年(1588年)頃、開山・願誉順公によって摂津国西宮に創建され、京都の三条東洞院を経て、天正17年(1589年)には豊臣秀吉の命により寺町丸太町に移転。1708年(宝永5年)の宝永大火で罹災した後、現在の東山仁王門(左京区北門前町)へ移転した9寺院のひとつである。現在の本堂は1716年(享保元年)の建立。外陣の格天井に伊藤若冲最晩年の傑作「花卉図」167面が描かれており、落款に「斗米翁八十八歳」とある。牡丹・桜・梅・菊など約60種の花々が南北8段・東西21列にわたって精緻に描かれ、若冲独自の彩色と筆致が堂内を彩る。この天井画はもとも伏見区の石峰寺観音堂を飾っていたが、明治元年(1868年)の廃仏毀釈で観音堂が破却・散逸した後に購入されて当寺へ寄贈された。左脇壇には平安時代作とされる観音菩薩像も安置されている。普段は非公開だが…
信行寺は天正16年(1588年)頃、開山・願誉順公によって摂津国西宮に創建されたと伝わる。その後、京都の三条東洞院に移転し、天正17年(1589年)には豊臣秀吉の命により寺町丸太町へ移った。1708年(宝永5年)の宝永大火は京都広範囲を焦土とし、当寺もこの被害を免れなかった。罹災後、現在の左京区北門前町(東山仁王門通沿い)に移転した9寺院のひとつとして再建し、現在に伝わる本堂は1716年(享保元年)の建立とされる。当寺最大の文化的特徴は、本堂外陣の格天井に描かれた伊藤若冲「花卉図」167面である。この天井画はもともと伏見区石峰寺の観音堂を飾っていた作品で、牡丹・桜・梅・菊など約60種の花々が南…