山号を引接山(いんじょうざん)と号する浄土宗の寺院。慶長5年(1600年)、深誉上人が伏見で金色に輝く阿弥陀如来像を感得し、五条に仏堂を建てて安置したのが始まりと伝わる。後光明天皇の典侍・庭田秀子が難産に苦しんだ際、当寺に安産祈願の勅命が下り、祈願成就で孝子内親王が無事に誕生したことから「安産の寺」として篤く崇敬される。本堂には洛陽三十三所観音霊場第8番の本尊・十一面観音立像が安置されており、観音巡礼の参拝者も多く訪れる。境内には平安後期に定朝の弟子・覚助が制作した木造薬師如来立像(像高192cm)が伝わり、かつて祇園社(現・八坂神社)の本地仏として祀られていたが、明治の神仏分離で観慶寺が廃絶した後に当寺へ移された国の重要文化財である。昭和19年(1944年)の五条通拡幅に伴い下京区から東山二条へ移転、その後昭和40年代に常念寺と合併して現在の左京区正往寺町に寺基を置く。平安神宮・岡崎の文…
大蓮寺の創建は慶長5年(1600年)に遡る。開山・深誉上人は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来像を感得し、五条の仏具屋通(現・京都市下京区西洞院五条付近)に仏堂を建て安置した。これが大蓮寺の始まりと伝わる。近世を通じて浄土宗の念仏道場として法灯を守り、後光明天皇(在位1643〜1654年)の時代には典侍・庭田秀子の難産祈願に関わる勅命祈願が行われた。祈願成就をもって孝子内親王が誕生し、「安産の寺」として広く知られるようになった。当寺の重要文化財・木造薬師如来立像(像高192cm)は、平安後期に定朝の弟子・覚助が制作したと伝わり、かつて祇園感神院(八坂神社)の本地仏として祀られていた。明治元年(18…