智積院の歴史は、高野山の根来寺(和歌山県)に始まる。根来寺は真言宗の学山として栄えたが、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の紀州攻めで焼き討ちにされ、住持・玄宥(げんにゅう)僧正は高野山へ避難した。
一方、この地(七条大和大路東)にはかつて智積院(根来寺の学頭を置く塔頭)があり、秀吉はその跡地に愛児・鶴松(1589〜1591年)の菩提を弔う「祥雲禅寺(しょううんぜんじ)」を建立した。祥雲禅寺の建設に際し、近江長浜城主だった浅井長政(秀吉の義弟)の邸宅「長浜城下の茶亭」にあった庭を移植したといわれる(のちの「利休好みの庭」との説も)。
慶長6年(1601年)、徳川家康は流浪していた玄宥に七条…