洲崎神社は横浜市金沢区洲崎町に鎮座する神社で、誉田別命を主祭神とする。元来は富岡村と柴村の間にあった「長浜」の地に祀られていたが、応長元年(1311年)の大津波で集落そのものが流され、生き残った住民が鎮守「大六天」を奉じて現在地(洲崎の地)に移住したと伝わる。江戸時代には隣村・町屋村と共同で天王社(現・町屋神社)を崇敬していたが、文化6年(1809年)両村協議のうえ天王社を分祀し、洲崎村独自の鎮守となった。明治維新の神仏分離を機に旧称「大六天」を改めて「洲崎神社」となり、明治43年(1910年)に日枝神社・稲荷社、大正3年(1914年)に十二天社を合祀。大正10年(1921年)には神饌幣帛料供進神社に指定された。鎮座地は金沢八景の一景「洲崎晴嵐」で歌に詠まれた洲崎の浜にあたり、平潟湾を望む景勝の地である。
洲崎神社の創祀は不詳である。社伝によれば、もとは富岡村と柴村の間にあった「長浜」の地に祀られていた小祠で、当時は神仏習合の鎮守「大六天(第六天魔王)」として崇敬されていた。応長元年(1311年)に三浦半島から相模湾沿岸を襲った大津波(『鎌倉年代記』や『北条九代記』にも記録の残る大規模災害)により長浜の集落は壊滅的被害を受け、生き残った住民の一部が現在の洲崎の地に移り住んだ。この時、彼らは祖先からの守り神「大六天」を共に運び、当地に祀ったのが洲崎神社の直接の起源と伝わる。江戸時代を通じて、隣接する町屋村と共同で「天王社」(牛頭天王=須佐之男命を祀る、現在の町屋神社)を崇敬していたが、文化6年(1…