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高館義経堂
高館義経堂
岩手県
創建
1189
種別
史跡
アクセス
JR平泉駅から徒歩20分
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
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基本情報
史跡
創建 1189
837年目
概要
文治5年(1189年)、奥州藤原氏のもとに逃れた源義経が兄・頼朝の圧力を受けた四代・泰衡の急襲により自害した地と伝わる丘。天和3年(1683年)、仙台藩4代藩主・伊達綱村が義経を偲んで建立した義経堂には、義経の木像が安置されている。丘の上からは北上川の流れと平泉の町並みを一望でき、松尾芭蕉が元禄2年(1689年)に訪れ「夏草や 兵どもが 夢の跡」という奥の細道屈指の名句を詠んだ地として全国に知られる。源義経最期の地として多くの訪問客を集める平泉随一の史跡。
由緒
高館は、文治5年(1189年)に源義経が奥州藤原氏四代・藤原泰衡の急襲を受け自害した地と伝わる丘である。義経はかつて兄・源頼朝との対立により都を追われ、奥州藤原氏三代・秀衡の庇護を受けていたが、秀衡の死後に頼朝の圧力に屈した泰衡に攻められたとされる。この戦いで義経は妻子とともに命を絶ったと伝えられ、平泉における奥州藤原氏の実質的な終焉にもつながった。その後、高館は長らく歴史の風雪にさらされたが、江戸時代の天和3年(1683年)、仙台藩四代藩主・伊達綱村が義経の霊を慰めるために義経堂を建立し、内部に義経の木像を安置した。元禄2年(1689年)には俳人・松尾芭蕉が奥の細道の旅の途上でこの地を訪れ、…
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源義経とのつながり
源義経は兄・頼朝に追われて奥州藤原氏のもとに逃れたが、文治5年(1189年)閏4月30日、頼朝の圧力を受けた四代・藤原泰衡の急襲により衣川の館で自害した。享年31。義経最期の地とされる高館からは北上川と平泉の町並みが望まれ、数百年後に訪れた松尾芭蕉は「夏草や兵どもが夢の跡」の名句を残した。
源頼朝とのつながり
文治5年(1189年)、源頼朝の奥州征伐により奥州藤原氏が滅亡した際、毛越寺の壮大な伽藍も戦火で焼失した。頼朝の追討を受けて自害した藤原泰衡の首級も平泉で晒され、奥州藤原氏100年の栄華はここに幕を閉じた。焼け残った浄土庭園は、頼朝が終わらせた平安文化の残照として今も残る。

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