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神奈川県
Toku
玉縄城
神奈川県
北条早雲が1512年に築いた「難攻不落」の山城・小田原征伐でも最後まで抵抗
創建
1512 年
種別
城
アクセス
JR大船駅から徒歩20分
神奈川県鎌倉市城廻
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基本情報
城
創建 1512年
514年目
概要
永正9年(1512年)、後北条氏の祖・北条早雲が三浦氏攻略の拠点として鎌倉市城廻に築いた山城。鎌倉の北西を守る戦略的要衝で「難攻不落」と称された。豊臣秀吉の小田原征伐の際も長期間抵抗を続け、後北条氏が滅亡した1590年まで落城しなかった最後の拠点の一つ。現在は土塁・空堀の遺構が残り、JR大船駅から徒歩圏内の城廻地区に位置する。城址の一部は清泉女学院の敷地となっている。神奈川を代表する中世城郭遺跡の一つ。
由緒
永正9年(1512年)、北条早雲が三浦氏攻略の拠点として鎌倉の北西に築城。「地黄八幡」の猛将・北条綱成が城主を務めた時代には上杉謙信や里見氏の攻撃を退け、「難攻不落」と称された。天正18年(1590年)の小田原征伐では、城主・北条氏勝が龍宝寺の僧の仲介と徳川家康の説得を受けて無血開城。後北条氏の相模の支城で最後まで残った堅城のひとつである。
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era
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人
ゆかりの人物
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北
北条早雲
後北条氏の祖・伊勢新九郎盛時
創建時 80歳
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永正9年(1512年)、相模平定の総仕上げとして北条早雲が玉縄城を築き、三浦半島の三浦氏を攻略する前進基地とした。鎌倉の北西を扼する要衝で「難攻不落」と称され、後北条氏の南相模支配の要となった。早雲の次男・氏時を初代城主に据え、以後は猛将・北条綱成ら玉縄北条氏が代々守った。
徳川家康
江戸幕府初代将軍
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天正18年(1590年)の小田原征伐で、玉縄城主・北条氏勝は約700騎で堅城に籠ったが、龍宝寺の僧・定光の仲介と徳川家康の開城勧告を受けて4月に無血開城した。家康は北条方の支城を次々と説得して無血で開かせ、関東平定を早めた。氏勝は戦後、家康に仕えた。
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