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勝瑞城跡
徳島県
細川氏・三好氏が阿波支配の拠点とした国指定史跡——三好長慶の代に畿内の覇を唱えた戦国の城
創建
1338
種別
アクセス
JR勝瑞駅から徒歩
徳島県板野郡藍住町勝瑞
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基本情報
創建 1338
688年目
概要
藍住町にある戦国時代の城跡。阿波守護・細川氏、その後三好氏の居城として栄えた。三好長慶の代には畿内の覇者となる三好政権の本拠地として全国に名を響かせた。長宗我部元親の侵攻により1582年に落城し、三好氏は没落した。現在は国指定史跡で、見性寺・勝瑞城館跡などの遺構が残る。戦国四国史の重要な舞台。
由緒
建武5年(1338年)に細川和氏が阿波守護所を勝瑞に置いたことに始まる。室町時代を通じて阿波の政治・軍事の中心として機能し、16世紀には三好氏が台頭して細川氏から実権を奪い、三好長慶の代に畿内の覇者として全国に名をとどろかせた。天正10年(1582年)、長宗我部元親の侵攻を受けて勝瑞城は落城し、三好氏は没落。天正13年(1585年)の豊臣秀吉四国征伐後は蜂須賀家政が阿波に入封し、徳島城(渭津城)へ拠点を移したため、勝瑞は拠点としての役割を終えた。現在は国史跡に指定され、城跡碑・水堀・見性寺等の遺構が残る。

ゆかりの人物
2

長宗我部元親
四国の覇者
天正10年(1582年)、長宗我部元親は阿波侵攻の総仕上げとして勝瑞城を攻略した。三好氏の本拠・勝瑞城の落城は、元親が阿波一国をほぼ平定したことを意味した。讃岐へと続く四国統一事業の重要な一里塚であり、土佐から起こった元親の覇業が四国中央部に達した歴史的瞬間だった。この後、元親は讃岐・伊予にも軍を進め、天正13年(1585年)の豊臣秀吉四国征伐の直前にはほぼ四国全土を支配した。
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