慶長3年(1598年)8月、豊臣秀吉は63歳で伏見城において薨去した。秀吉は遺言により東山の阿弥陀ヶ峰山頂への埋葬を望み、同年中に遺体が山頂に葬られて廟所が造営された。翌慶長4年(1599年)には麓に豊国社(現・豊国神社)が創建され、秀吉は「豊国大明神」として神格化・祭祀された。その神威は「新八幡」とも称されたと伝わる。しかし慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、徳川家康の意向により豊国社は廃絶され、廟所もまた荒廃に任せられた。以後約260年にわたり廟域は顧みられることなく時を経た。明治維新後、豊臣秀吉への再評価が高まる中、明治6年(1873年)に豊国神社が再興された。さら…