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豊国廟
京都府
創建
1598
種別
神社
基本情報
神社
創建 1598
428年目
御祭神・御本尊
豊臣秀吉
宗派
(廟所)
ご利益
商売繁盛
武運長久・勝運
出世開運
事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「豊臣秀吉」のご神徳に由来
概要
豊国廟は慶長3年(1598年)に63歳で薨去した豊臣秀吉の遺体を阿弥陀ヶ峰の山頂に葬った廟所で、明治30年に再建された。秀吉は遺言で東山の峰に埋葬されることを望み、その墓所は「新八幡」として神格化された。阿弥陀ヶ峰の山頂まで続く約500段の石段は体力が必要だが、頂上からは京都市街を一望する絶景が広がる。徳川家康により一度廃絶されたが、明治維新後に再興された波乱の歴史を持つ。方広寺や豊国神社とあわせて豊臣秀吉ゆかりの地を巡ることができる。京阪七条駅から徒歩約15分、女坂の入口に位置する。
由緒
慶長3年(1598年)8月、豊臣秀吉は63歳で伏見城において薨去した。秀吉は遺言により東山の阿弥陀ヶ峰山頂への埋葬を望み、同年中に遺体が山頂に葬られて廟所が造営された。翌慶長4年(1599年)には麓に豊国社(現・豊国神社)が創建され、秀吉は「豊国大明神」として神格化・祭祀された。その神威は「新八幡」とも称されたと伝わる。しかし慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、徳川家康の意向により豊国社は廃絶され、廟所もまた荒廃に任せられた。以後約260年にわたり廟域は顧みられることなく時を経た。明治維新後、豊臣秀吉への再評価が高まる中、明治6年(1873年)に豊国神社が再興された。さら…
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豊臣秀吉とのつながり
慶長3年(1598年)8月18日、伏見城にて病没。享年63(満61歳)。死因は諸説あり:①大腸がん説(激しい下痢と体力低下の記録から)、②脚気説、③尿毒症説。晩年は判断力の低下が著しく、甥・秀次の粛清や二度の朝鮮出兵など暴挙が目立った。死の直前まで五大老に秀頼の将来を託す遺言を繰り返した。遺体は阿弥陀ヶ峰山頂に葬られ「豊国大明神」として神格化された。

ゆかりの人物
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