平清盛は平氏政権の頂点に立った武将で、治承5年(1181)閏2月、熱病に倒れて世を去った。『吾妻鏡』は終焉の地を「九条河原口の盛国が家」と記すが、同時代の廷臣の日記『師元朝臣記』では「八条河原」とされ、「九条は八条の誤記」とする説が有力とされる。盛国は清盛の家司を務めた人物で、その邸は六波羅と西八条という平家二大邸宅群のほぼ中間に位置した。この地ではまた、永暦2年(1161)に憲仁親王(のちの高倉天皇)が生まれたとも伝わり、石柱はその二つの故事を伝える。終焉地には西八条邸とする説もあり、当地はあくまで推定地として記憶されている。