寺伝によれば、建暦2年(1212)に流罪を赦されて京に戻った親鸞が、山城国山科に一宇を結んだのが起こりと伝わる。第7世了源の代に東山渋谷へ移して寺号を仏光寺と改めたが、第14世蓮教が本願寺の蓮如に帰依し、再び山科に「興正寺」を興した。以後、本願寺と歩みを共にして転々とし、天正19年(1591)に本願寺とともに現在の堀川七条の地へ移った。江戸時代を通じて西本願寺の脇門跡格にあったが、明治9年(1876)に独立して真宗興正派の本山となった。明治35年(1902)の火災で主要堂宇を焼失し、御影堂は明治45年(1912)、阿弥陀堂は大正4年(1915)に再建された。三門も明治45年の竣工である。