江戸城とはどのような城郭だったのか——遺構から読む規模と構造
江戸城は現在の皇居を中心とした一帯に位置し、その外郭は現在の内堀から外堀(現・外堀通り・JR中央線の堀)にまで及んだ。城の中核である本丸に天守が建てられたのは慶長期(1596〜1615年)から万治年間(1658〜1660年)にかけてであり、寛永十五年(1638年)に完成した寛永度天守が「江戸城天守」として広く認識されているが、この天守は明暦三年(1657年)の大火(明暦の大火)で焼失した後、再建されることなく現在に至る。
天守台は現在も本丸跡(皇居東御苑内)に現存しており、石垣の規模から当時の天守がいかに巨大であったかを推量できる。『徳川実紀』はこの天守の高さを「五重、高さ三十六間(約65メートル)」と記録している。現在、皇居東御苑は一般公開されており、天守台・大番所・同心番所などの遺構を実際に確認することができる。
江戸城の防御システムは本丸・二の丸・三の丸という内郭にとどまらず、「総構え」と呼ばれる外堀を含む都市全体の設計に及んだ。慶長〜元和年間(1596〜1624年)にかけて整備されたこの総構えは、単なる軍事施設ではなく、江戸を首都として機能させるための都市基盤設計でもあった。現在のJR山手線・中央線の一部はかつての外堀の跡にあたる。