秀吉の出自については、江戸期以降に「農民の子」という説が定着しているが、これは必ずしも一次史料で確証できるわけではない。秀吉自身の伝記的記録として最も詳しい史料である大村由己著『天正記』(1584年頃成立)は秀吉の命によって書かれた官製伝記的性格を持ち、出自の美化・改竄の可能性がある。
現在の名古屋市中村区には「豊国神社」および「秀吉清正記念館」が整備されているが、現地が実際の生誕地であることの史料的確証は中程度に留まる。地名「中村」が秀吉の姓「中村」(旧姓)と一致することは傍証となるが、決定的ではない。
秀吉の改名の系譜——「日吉丸」から「豊臣秀吉」まで
秀吉は生涯に複数回改名しており、木下藤吉郎・羽柴秀吉・藤原秀吉・豊臣秀吉と変遷した。天正十三年(1585年)に関白に就任し「豊臣」の姓を朝廷から賜ったことは、公卿でなければ就任できない関白という官職に武家として就いた前例なき出来事であり、日本の政治史上きわめて特異な事象として評価される。