現在の御影堂・阿弥陀堂は、**明治28年(1895年)**に完成したものだ。江戸時代から明治にかけて、東本願寺は幾度も火災に見舞われた。あまりの頻度に「火出し本願寺」と揶揄されたほどである。
大きな転機は天明8年(1788年)の京都大火だった。この大火で東本願寺は全焼。再建にあたって江戸幕府から飛騨産木材4600本もの寄進を受け、寛政10年(1798年)にようやく復元を果たした。しかしその後も度重なる火災が続き、元治元年(1864年)の禁門の変では御所周辺が戦場となり、またも全焼した。
明治に入り、全国の門徒の浄財と労働を結集して再建に着手した。木材の調達・運搬から建設まで、すべて信者の篤い信仰に支えられた大工事だった。
明治の再建工事において、最も語り継がれるエピソードが「毛綱(けづな)」の物語だ。御影堂のような巨大な建物を建てるには、太い丸太を引き上げるための丈夫な綱が欠かせない。しかし工事中、この綱が何度切れても新しい綱を調達するのは困難を極めた。
そのとき、全国各地の女性門徒たちが自らの長い髪を切り落とし、撚り合わせた縄を寄進した。断髪は当時の女性にとって容易な決断ではなかった。それでも「親鸞聖人の御堂を一刻も早く再建したい」という一心で、数多くの女性が我が身の一部を差し出した。
この毛綱は今も東本願寺に保存・展示されており、見学することができる。全長約70m・直径約15cmの縄に無数の黒髪が絡み合い、門徒の篤い信仰の証として静かに時を刻んでいる。毛綱はお東さんの象徴的な展示物のひとつであり、東本願寺を訪れた際にはぜひ実物を間近で見てほしい。