醍醐天皇後山科陵は、延喜30年(930年)に崩御した第60代醍醐天皇の御陵である。醍醐天皇は在位中、延喜の治と称される理想的な親政を行い、905年には紀貫之らに命じて最初の勅撰和歌集『古今和歌集』を編纂させた。崩御後、山科の地に葬られ、この陵は「後山科陵」と称されるようになった。中世以降、皇室の衰退とともに陵墓の管理が疎かになった時期もあったとされるが、江戸時代には幕府による陵墓修復事業が進められた。近代に入り明治政府は全国の天皇陵を整備し、宮内省(現・宮内庁)による公式な管理体制が確立された。現在も宮内庁が管理する御陵として厳粛に保たれており、参道を覆う松や杉の樹林とともに古代の天皇陵の静謐…