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伝馬町牢屋敷跡(十思公園)
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伝馬町牢屋敷跡(十思公園)
東京都
創建
1613
種別
史跡
アクセス
東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅から徒歩2分
東京都中央区日本橋小伝馬町5-2
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基本情報
史跡
創建 1613
413年目
概要
慶長18年(1613年)から明治8年(1875年)まで260年余にわたり江戸の牢獄として機能した伝馬町牢屋敷の跡地。現在は十思公園として整備されている。敷地は約2600坪に及び、揚座敷・大牢・百姓牢・女牢など階層別の牢獄が設けられていた。安政の大獄で捕えられた吉田松陰は安政6年(1859年)10月27日にこの牢屋敷で斬首刑に処された。享年30。園内には「松蔭先生終焉之地」碑と松陰直筆の辞世の句碑が立つ。高野長英・橋本左内・頼三樹三郎ら幕末の志士もここに収容された。隣接する十思スクエア別館内の「小伝馬町牢屋敷展示館」では牢内の復元模型や発掘された石垣を見ることができる。園内には寛永寺から移設された「石町時の鐘」も現存する。
由緒
吉田松陰(1830-1859年)は長州藩士にして松下村塾の主宰者。嘉永7年(1854年)にペリー艦隊への密航を図るが失敗し投獄される。出獄後に萩で松下村塾を開き、久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋ら明治維新の中核となる人材を育てた。安政5年(1858年)の安政の大獄で再び捕えられ江戸へ送られ、この伝馬町牢屋敷で取り調べを受けた。松陰は自らの信念を曲げることなく幕府批判を展開し、安政6年10月27日に斬首。辞世の句「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」は、この牢獄で詠まれたものである。
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