慶長6年(1601年)、徳川家康が儒学者・三要元佶(さんようげんきつ)を招き、伏見に学問所を創設したのが圓光寺の始まりである。主に武将の子弟に経書を教える目的で設立され、当時の文教政策の一環をなした。家康の命により印刷された書物の活字(駿河版銅活字)は現在も寺に保存されており、日本最古の木活字として印刷文化史上きわめて重要な史料である。その後、学問所としての機能は別所へ移り、寺院は一乗寺の現在地に移転して臨済宗南禅寺派の禅刹として再出発した。移転の時期は諸説あるが、江戸時代前期から中期の間とされる。境内に整備された「十牛之庭」は禅の悟りの段階を十頭の牛で表した池泉回遊式庭園で、洛北屈指の紅葉名…