嘉永6年(1853年)のペリー来航を受けて江戸湾防衛のため老中首座・阿部正弘の命により築造された品川台場11基構想の一つで、伊豆韮山代官・**江川太郎左衛門英龍**の設計監督のもと安政元年(1854年)12月に完成した**陸続きの五稜形砲台**。他の品川台場が海上に築かれた離島式砲台であるのに対し、本台場は品川海岸沿いに陸続きで築かれた独特の形式で、**154門の大砲**を装備した江戸湾防衛の最前線基地となった。建設に際しては御殿山・泉岳寺一帯の土砂を切り崩して築造したため、これにより御殿山の風光明媚な景観が変容したと伝わる。昭和32年(1957年)に撤去され、跡地には品川区立台場小学校が開校。現在は**校門前に台場石垣の真鶴石**と**第二台場にあった品川灯台のレプリカ**が設置され、小学校の名と併せて幕末台場の記憶を今に留めている。黒船来航〜明治開国〜近代港湾都市化へと続く日本近代史の…