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北条高時腹切やぐら
神奈川県
北条高時が腹を切ったと伝わる東勝寺裏の岩窟、鎌倉幕府滅亡の最終地点
創建
1333
種別
史跡
アクセス
JR鎌倉駅東口から徒歩約20分、東勝寺跡から山道を徒歩5分
神奈川県鎌倉市小町(東勝寺跡背後の崖)
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基本情報
史跡
創建 1333
693年目
概要
鎌倉市小町、東勝寺跡の背後の崖に穿たれた中世のやぐら(岩窟墓)。元弘3年(1333年)5月22日、東勝寺で自害した北条高時の腹切りの場、あるいは遺骸を安置した墳墓と伝わる。やぐらは間口約3m・奥行き約4mの方形で、内部には石塔が安置される。鎌倉時代後期の典型的なやぐら形式を残し、鎌倉幕府滅亡の象徴的史跡として国指定史跡「東勝寺跡」の一部に含まれる。東勝寺跡から細い山道を5分ほど登った崖下にあり、夏は鬱蒼とした緑に包まれ、冬は岩肌が剥き出しになる静かな谷戸の最奥に位置する。江戸時代の鎌倉案内記にも名所として記載され、明治以降は太平記の悲劇を偲ぶ史跡として歌人・俳人にも詠まれた。現在も供花が絶えず、戦没者を悼む参拝者が訪れる。
由緒
東勝寺は北条氏の菩提寺として鎌倉時代に創建され、北条得宗家と深いゆかりを持つ寺院であった。元弘3年(1333年)5月、後醍醐天皇の討幕運動に呼応した新田義貞が大軍を率いて鎌倉に攻め入ると、最後の執権・北条高時はこの東勝寺に一族・郎党を集めた。同月22日、高時を中心に870名余が自害し、鎌倉幕府は事実上滅亡した。この壮絶な最期は軍記物語『太平記』第10巻「高時入道自害の事」に詳しく記され、後世に語り継がれた。東勝寺跡背後の崖に穿たれたやぐら(岩窟墓)は、高時が腹を切った場所、またはその遺骸を安置した墳墓と伝わる。江戸時代の鎌倉案内記にも名所として記載され、明治以降は太平記の悲劇を偲ぶ歌人・俳人に…
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