1945年(昭和20年)3月10日未明、アメリカ陸軍航空隊のB-29爆撃機約300機が東京の下町(墨田・江東・台東など)を焼夷弾で絨毯爆撃した東京大空襲の記憶を継承する施設。マーカス・ミッツァー少将が指揮したこの「ミーティングハウス2号作戦」は、一夜にして推定8万〜10万名の民間人を死亡させ、約26.7万戸を焼失させた。これは広島・長崎の原爆死者に匹敵する、人類史上最大規模の単一空爆による死者数の一つである。被災地域の多くは現在の墨田区・江東区・台東区・江戸川区などに相当する。東京大空襲・戦災資料センターは2002年に民間の寄付によって設立され、生存者の証言・焼夷弾の実物・被害地図などを展示している。東京都平和の日(3月10日)に合わせた追悼行事が毎年行われ、「空襲で亡くなった人々は靖国にも千鳥ケ淵にも祀られていない」という問題提起が今も続く。