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東京大空襲・戦災資料センター
東京都
1945年3月10日一夜で推定10万人が死亡した東京大空襲の記憶を伝える民間資料センター、「空襲犠牲者はどこにも祀られていない」問題提起の拠点
創建
1945
種別
史跡
アクセス
都営新宿線森下駅から徒歩5分
東京都墨田区緑2-8-7(東京大空襲・戦災資料センター)
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基本情報
史跡
創建 1945
81年目
概要
1945年(昭和20年)3月10日未明、アメリカ陸軍航空隊のB-29爆撃機約300機が東京の下町(墨田・江東・台東など)を焼夷弾で絨毯爆撃した東京大空襲の記憶を継承する施設。マーカス・ミッツァー少将が指揮したこの「ミーティングハウス2号作戦」は、一夜にして推定8万〜10万名の民間人を死亡させ、約26.7万戸を焼失させた。これは広島・長崎の原爆死者に匹敵する、人類史上最大規模の単一空爆による死者数の一つである。被災地域の多くは現在の墨田区・江東区・台東区・江戸川区などに相当する。東京大空襲・戦災資料センターは2002年に民間の寄付によって設立され、生存者の証言・焼夷弾の実物・被害地図などを展示している。東京都平和の日(3月10日)に合わせた追悼行事が毎年行われ、「空襲で亡くなった人々は靖国にも千鳥ケ淵にも祀られていない」という問題提起が今も続く。
由緒
昭和45年(1970年)、作家・早乙女勝元らが「東京空襲を記録する会」を結成し資料収集を開始。東京都に公立の空襲資料館建設を求めたが、平成11年(1999年)財政難を理由に計画は凍結された。政治経済研究所と同会が中心となり平成12年(2000年)3月10日から民間募金を開始、4000人超から1億円以上が集まり、平成14年(2002年)3月9日に財団法人政治経済研究所付属博物館として開館。早乙女勝元が初代館長に就任した。
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