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方広寺
京都府
「国家安康」の鐘銘が大坂の陣の口実となった鐘銘事件の舞台、豊臣秀吉が創建した大仏殿跡
創建
1595
種別
寺院
アクセス
京都府京都市東山区茶屋町527-2
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基本情報
寺院
創建 1595
431年目
御祭神・御本尊
盧舎那仏
宗派
天台宗
概要
方広寺は文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が東大寺の大仏に倣い大仏を建立するために創建した天台宗の寺院である。梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が徳川家康の怒りを買い大坂の陣の口実となった「鐘銘事件」の舞台として日本史上極めて重要な場所である。現存する梵鐘は重要文化財に指定され、問題となった銘文部分が白く囲まれて示されている。かつての大仏殿は高さ約50mを誇ったが度重なる地震や火災で失われ、現在は礎石のみが残る。境内には豊臣家の栄枯盛衰を物語る石垣や石塁が保存されている。京阪七条駅から徒歩約10分、豊国神社に隣接する。
由緒
方広寺は文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が奈良・東大寺の大仏に倣い大仏を建立するために創建した天台宗の寺院である。大仏殿は高さ約50mに及ぶ巨大な建築で、文禄5年(1596年)の大地震により倒壊。秀吉の死後、子・秀頼が再建を続け、慶長17年(1612年)に完成した梵鐘には「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が刻まれた。徳川家康はこの銘文が「家康の名を二文字に分断し豊臣家の繁栄を祈っている」と問題視し、鐘銘事件として大坂冬の陣(慶長19年・1614年)の口実に利用した。江戸時代を通じて幾度かの地震・火災により大仏殿は失われ続け、明治初年に最終的に撤去された。現在は梵鐘(重要文化財)と礎石のみが往時の大…
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