延久4年(1072年)頃、白河天皇の勅願寺として創建されたと伝わる。当初は「善入寺」と称し、嵯峨野の地に広大な伽藍を有する大寺院であったとされる。南北朝時代に入ると、室町幕府第2代将軍・足利義詮が深く帰依し、正平23年/応安元年(1368年)に没した際、その遺言により現在の「宝筐院」の名が与えられたと伝わる。義詮の命により、南朝の忠臣として正平3年(1348年)の四條畷の戦いで討死した楠木正行の墓も同院に移され、敵対する両者の墓が並び立つ異例の形が生まれた。その後、戦乱や廃仏毀釈の影響などにより寺勢は衰え、一時は廃寺同然の状態に陥ったとされる。近代以降、有志の尽力によって再興が図られ、現在は臨…